こんにちは。
監督でも何でもないのにスタメンを独断で決めてしまう、
先日アラウンドではなく、正真正銘のフォーティに到達したyskzstがお送りします。
(ヨーダみたいな、洒落たハンドルネームはありません)
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今回は、タイトルから察していただける通り、我が社の野球部について、お話ししたいと思います。
のっけから記憶が定かではないのですが、2005年辺りに野球好き数名でチームを立ち上げ、
大半が野球未経験(または、小学生まで経験)といった編成で始まりました。
チーム名は、ジャイアンツ。
ユニフォームは、ジャイアンツカラー(オレンジ×ブラック×グレー)。
ほぼ検討の余地無く決まりました。(というか決めました)
チーム内には、ライオンズファンもいますが、そんなことは関係ない。
1点、悩んだのは、帽子に刻むイニシャルでした。
"N"(Nexasの先頭)は、某野球ゲームのナ〇コスターズになってしまう。
"W"(Wingの先頭)は、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)になってしまう。
"G"は、我が社名の綴りにも無いし、あからさま過ぎる。
ということで、我が社名の綴りにあり、ナ〇コスターズ、大洋ホエールズにならない1文字として、
"X"(neXasの真ん中)を選択しました。
色々な意味で最高の一文字。
そこから、各々、様々な思いをもって背番号を選択。
私は、阿部慎之助世代として、"10"を選択。
知っている人が稀な、元巨人の助っ人外国人投手・サンチェの"20"を選択する人や
最早、野球と全く関係ない、サッカーの元レアルマドリーのFW・ラウールの"7"を選択する人など、様々でした。
現在は、ラウールとユニフォーム交換して、私は、吉村禎章の"7"を背負っていますが。
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そんなこんなで始まり、練習は、全くしませんでしたが、
練習試合を組んだり、健保の大会に参加したりと活動してきました。
立ち上げ当初は、野球が好きという気持ちと、若さだけで、
健保の大会での最高位であるAブロック(Cブロックが最下位)まで昇格することもありました。
ただ、Aブロックでは、流石に一回戦でボロ負け。
対戦チームのメンバは、明らかに高校、大学まで野球やっていたな、という猛者揃い。
試合終了前なのに審判から「まだやる?」と屈辱的な問いかけをされたこともありますが、良い思い出。
楽しければ、それで良いんです。
守備では、一つのアウトを取るだけで、まるで優勝したかのように喜ぶことがあります。
攻撃では、足がついてこない自チームのランナーの走りを見て大笑いしています。
基本、笑顔です。
ただ、バントだけは、禁止。(草野球は、打ってなんぼ!)
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このような感じで、気が付いたら13年も活動していた、という事実に今驚いています。
ここまで存続するとは!
これからも、(元気な若手に入部してもらって)続けていく所存です!
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